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道玄坂洋楽英語倶楽部

2008年つごもりに想うこと総集編 1

2008年つごもりに想うこと

総集編 その1


1. やったー!やっと仕事おさめ…

いやー、やっと仕事が一段落といった感じになりました。本当は29 日ぐらいで仕事おさめにしたかったのですが、立て続けに仕事が入って結局31日です。

まあ、世の中不況の津波にのみ込まれているようなので、一自営業者 として仕事があるのは非常に良いことかもしれません。ニュースでは就職難や減産、レイオフの話題で持ちっきり。。。

平成不況の真っただ中で帰国して、2年ちょっとで独立・自営を余儀 なくされた僕としては、「何を今さら・・・」という感じですが、今後は分かりません。ただ、感じとして、景気の良かった昨年・一昨年に比べて、忙しいで す。おそらくは、企業がベネフィット削減のために人員を削減→出来る仕事の量が限られる→ 外注という流れではないか、と考えられます。そうだとすると、今後も忙しくなることが予想されますが、正直言って今年は忙しすぎたので、少しマイペースで 仕事をしたい感じ。「稼げるときに稼いどけよ」なんて言われますが、世の中お金が全てではありません。むしろ、本当に大切なものはお金では買えないと思う のですが、どうでしょうか?

金で買えるものなんて、ろくなもんありません。(あくまでも庶民レ ベルでの話だけど…)

まあ、そんなこんなで、日本で大学生やってた20歳前後から、「金 なんて、メシが食えれば上等上等!」という考えが根付いて来ました。しかし、これだけ物価が高い日本では、その「メシが食えれば」が大変だったりします が、ね。常に仕事優先で、家族との休日よりも仕事を優先する。仕事のためなら徹夜も辞さない。そうした覚悟がないと、日本ではやっていけません。しかし私 の知る限りでは、これだけ仕事の優先度が高い国は、他に類がありません。家族の誕生日に休暇が取れたり、子供の発表会は当然のように仕事を休むことができ る、というのがあるべき姿ではないでしょうか。なぜなら、私達は働くために生まれてきたのではないし、仕事自体が人生の目標ではないからです。

人生の目標は、誰が何と言おうと、素晴らしいものを後世に残してゆ くことだと思います。これは太古の昔から変わらないと思います。川に橋をかけたり、科学技術上の発明をしたり、また素晴らしい芸術作品を作り出したりし て、家族の遺産として、自分の住むコミュニティの遺産として、あるいはちょっと大袈裟だけど人類の遺産として後世に伝えることなどがあると思いますが、 もっと身近で、しかも永遠不滅な目標は、子供を育てることであることに異論はないでしょう。保健体育の授業では、「人間のあらゆる営みは、種の保存を目的 としている」と教えられました。保健体育なんてドキドキワクワクしてた当時は「はぁ?」と拍子ぬけしましたが、今となっては理解できる気がします。

まあ、そのために世のお父さんたちは頑張っているわけですが、頑張 りすぎて、その目的たる「子供」の成長ぶりを見守ることが出来ないとしたら、それは本末転倒ではないでしょうか。しかし、日本で実際に家族生活を送るとし たら、そうした事態も覚悟が必要となってしまいます。

はっきり言って、そんな日本のどこが豊かだというのでしょうか?

実際に、OECD諸国においても、日本人の余暇(もうこうした呼び 方をする時点で嫌気がさします...)は途上国の水準です。日本人のお父さんが子供と過ごす時間は、欧米(こういう比較対象もあまり好きではないが。)と 比べて50%以下で、これは国際的な体裁が悪いから、というあくまでも表面上の理由で、所轄官庁では大問題ということになっています。

これはとりもなおさず、そうした日本の「貧しさ」が、国際社会で は、データで明らかに分かってしまう、ということです。

補足説明

数値上において、労働時間や休日は、欧米と日本は、離れてはいるが、そんなに言うほどでもない。

労働時間:
日本   1786時間
アメリカ  1711時間
イギリス  1758時間
ドイツ   1538時間
フランス  1525時間

休日数:
日本   104日
アメリカ  104日
イギリス  104日
ドイツ   104日
フランス  104日

http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/05/s0520-7c.html

これだけ見れば、日本は欧米並み。100点満点です。

 それなのに、父親が 平日に子供と過ごす時間に大きな差がある。。。

5時間台
  タイ

4時間台
  アメリカ
  スウェーデン

3時間台
  フランス
  日本

2時間台
  韓国

これは何故か?

ちなみにこれでも、僕が父親に なった2004年当時(日本は2時間台だった。)に比べれば、向上している。

日本のお父さんがアメリカのお父さんと比較して、遊び歩いているとは思えない。。。
すこし考えていただくと、ここでは何が「制度化」されているか、大体見当つくとは思います。

日本は、そうやって何かをひた隠しにして体裁だけ整えるのが得意。しかし、そこには常に隠しておかねばならない何かがある。。。

日本人は、押し並べて「汚いものを隠す」傾向にある。これは悪いことではないとは思います。日本の道路はきれいだし、町中にゴミがおっこっていることも少 ない。。。これに比較して、欧米はもっと正直だと思います。町中には、ごみも犯罪もごろごろしている。

しかし、そうやってニッポンのパパたちがサービス残業、時間外労働を強いられ、うまく隠した、と思った汚い部分が、このような形で少しでも披瀝されると、 非常にぶざまで、汚ならしいと思います。それだったら、隠さない方がよっぽどいい、と思うのは、僕だけでしょうか。ニッポンのパパたちは、制度的にぶざま な思いをさせられている。

つまり、制度化された何かによっ て、ニッポンのパパたちがつらい思いしてるのに、外ヅラでは、欧米並みを主張する。ニッポンのパパたちは「おいおい、ちょっとまて!!」とツッコミたくな るし、第一、問題の根本的な解決にはなっていない。

そうやって一時しのぎのBand Aid Measuresで、すくなくともPolicy Maker達の方は、その任期において、「自分は仕事したし、成果があった」という主張。自分たちのことしか考えていない。

それが、未来へと受け継がれるべ き価値あるものなのか?



それでは、こうした日本の「貧しさ」とは、どのようなものでしょう か。


2.日本の「貧しさ」とは

ふつーに生活していると、そんなことぜーんぜん感じられません。こ れはひとえに、メディアのに騙されている部分も多いと思います。メディアは決して悪くはありませんが、ただ単にそうした問題を大々的に扱う機会が限られて いる、ということだと思います。日本でメディアに期待されることは、エンターテイメントとしての要素の方が圧倒的に大きく、そうした問題を草の根的に考え る基盤を与えるレベルのものではないと思います。つまり、「毎日つかれるなぁ~全く...」といって帰宅するや否や、テレビをポチっとつけて...正直 言ってそんな小難しい話はいいから、ゆっくりさせてよ!っていうのがオチになってしまうのです。日本人の奥さんは、これを「然り」としてしまいます。休憩 は必要だし。

まあ、ここでメディアの功罪を云々する気はありませーん。このぐら いでいいでしょう。

言わんとすることは、おおっぴらにそうした日本の「貧しさ」がク ローズアップされる機会は、すくなくともメディアには存在しないし、他にそういうコンセンサスを構築する基盤もない、ということです。

もう一つ言えることは、日本ではこうした「貧しさ」が制度化されて しまっている、ということもあります。つまり、「とーちゃんも、じーちゃんも、みーんなイッパシに頑張って来た。おまえはXX歳にもなって、何やってるん だ!!」という語り草。これはお茶の間だけでなく、世間一般でも同様です。普段は意識しないかもしれませんが、たとえば携帯電話の申し込みに行って、住 所、氏名、年齢、職業...と記入されたプロファイリングを見て、「あー、この人はそういう人なんだー...」なんて、絶対思われているはずです。あまつ さえ、目の前には当の本人ロン毛のオジサンが居る...そうした制度という観点から見れば、逸脱甚だしいこと請け合いです。

つまり、「いや、オイラは欧米並み目指してるからさ、残業しない し、土日は休むよ、言っとくけど...」なーんてかっこつけてみても、これは非常に難しい。

「いや、オイラ、アメリカでは右側通行で走ってきたからさ、日本で も右側走るよ、悪いけど...」と言っているようなもの。

実際に、みーんな左側はしってるのに、右側なんて走れっこない。

しかしですよ、ここで疑問なのは、「じゃあさ、じーちゃんはイッパ シに頑張って頑張って、過労死したけどさ、それはとーちゃんにも同じようにイッパシに頑張って頑張って、過労死してほしかったからなのかなぁ?」というこ とです。

前回の日記で、「人生の目標は、誰が何と言おうと、素晴らしいもの を後世に残してゆくことだと思います。」と申し上げましたが、これがホントであれば、この制度化してしまった「貧しさ」は、世代を追うごとに向上しな きゃ、ウソですよねえ。それで、そうやってご先祖様がつらい思いをして、やっと少し「豊かさ」が出来てきたところで、ギターなんかポロポロ弾いてると、そ れを見て喜ぶ人がいない。「何やってるんだ!!」となるのは、何故なんでしょうか?それって、「向上するな!!」ってことですよね?

私達の世代になって、大恐慌が起こる。「運が悪いなー...」と仰 る人はたくさんいるでしょう。「時代が悪い!!」と時代のせいにする。んが、今までだって、世代毎に様々な問題があったはず。今よりかぜーんぜん大きな問 題があった世代も当然あるはず。終戦直後の混乱なんて、想像することも出来ないですよねー。

そうやって、世代世代ごとの問題がありますが、問題が毎回同じであ るということは、あり得ません。世代毎に問題は異なります。従って、それに対して以前の問題と同様に対処しても、効果はありません、って当り前か...

そんで今回の問題は、ズバリ 「景気が悪い」 です。

うん、わかった。

でもさ、それと、「素晴らしいものを次の世代に残す」という人生の 目的と、どう関係あるのでしょうか...というと、おそらくは、「いやあ、世の中先立つモノは金だよ金!!」なんて言われそうです。

しかし、 「景気が悪い」 と、それはすなわち 「素晴らしいもの を次の世代に残す」 ことが出来ない、と言うことなのか?

いんや、目下 「素晴らしいものを次の世代に残す」 ことが出来な かった、というレベルの問題は起こっていないでしょう。

そんじゃあさ、どっしり構えてればいいんじゃないの?

僕は同時多発テロと前後してアメリカに居ました。テロの前後では全 く世相が変わっていました。景気も一瞬ストーンと落ちて、それまで夏の風物誌だった野外のフリーコンサートもなくなり、ソニーロリンズをタダ見出来なくな りました。ちょっと悲しかった...当時、不動産屋で働いてましたが、日本人は大挙して帰国。買い控えやなんかもあって、死ぬほど働いても、あんま稼げな かったなー...そんなこんなで、世間にグモーンとした空気が立ち込めてはいました。車が故障しても、修理代を捻出出来なくて、不動産屋を続行するには自 分で直すしかなかったり。

そうですねえ、そいった経験を踏まえていうと、ちょっと大変かも。 野外コンサートは、どっちにしたってスポンサーの宣伝目的みたいな部分があるし、まあいいか、ですよね。ソニーロリンズ見たかったら、昼飯何回か抜けば見 れないこともない。第一、これは音楽が死に絶えているということでは、決してない。

少なくとも音楽等、芸術という観点からすると、これは全く問題には ならないことが分かっていますハイ。

それでは、「芸術という価値観」とは、どのようなものか?


3.ゲージュツという価値観

ゲージュツなんて言うと、すぐに「金かかる」とか、「金持の趣味 だ」なんて言われるかもしれませんけど、僕の中での解釈は違います。一言でいうならば、「金銭的な価値観とは、全く別の価値観である」ということです。金 とは何の関係もありません。

もう何度もこうして説明してますが...

たとえば、あるゲージュツ家がインスピレーションを得て、イルカの オブジェを作ろうと決めたとする。頭の中であれこれとイメージを膨らませてゆくうちに、胴体はクレイ、目                 玉はダイヤモンドにしよう、ということになったとする。

この場合、このゲージュツ家のイメージは、ダイヤモンドが手に入ら なかったら、実現しません。

しかし、クレイが手に入らなかったとしたら、やはりこのゲージュツ 家のイメージは実現しません。

この意味において、このゲージュツ家の中では、クレイとダイヤモン ドが同価値なのです。

市場価格では、ダイヤモンドの方がはるかに高額かもしれませんが、 ダイヤモンドの方が価値が高いということは、決してありません。

要するに、イメージを具現化する事のみを念頭に考えなければならな いのです。

それ以外の雑念は、極言すれば自由な「芸術的・創造的」活動を阻害 するものになってしまいます。そうしたことにとらわれるということは、「芸術ではない」ということです。

これが「ゲージュツはわけわからん」と言われるゆえんになってるか もしれませんね...

より具体的な例として、たとえばエリック・クラプトンのギター「ブ ラッキー」を考えてみまーす。

ちょっとウィキペディアから拝借

  ブラッキー(ギター):
 「クラプトンはナッシュビルにあるショー-バッドの楽 器店に入り、ここで6本のヴィンテージ・ストラトキャスターをそれぞれ100ドルで購入した。6本のうち3本をジョージ・ハリス             ン、ピート・タウンゼント、スティーヴ・ウィンウッドに譲り、残された3本を分解して最良のパーツを選び出して(1956年~1957年のものだった)、 このブラッキーを組み上げた。」

なるほど、そんじゃあ、中古車でいうところの「6コ1」ってわけ か...

「ク ラプトンが設立したドラッグとアルコールのリハビリ施設、クロスロード・センターを支援するために、ブラッキーをクリスティーズの競売に出品。これを楽器 チェーン店を経             営するギター・センターが95万9500ドルで競り落とし、史上最も高価なギターとなった(これは2004年に260万ドルで競り落とされるまで続いた記 録)。」

うげ、95万9500ドルってことは、1億円!!そのあとがすご い。2億6千万円。

文字通り「2足3文」6万円で6本買ったギターが、1本で1億円に なってしまった、と言うことです。

それだけではありません。このギターをクラプトンが使用したことに より、この時代(1956年~1957年)のストラトキャスター全般が、200万、300万円で取引されるようになりました。べた塗りだと1000万円近 くになることも。

「ホレ見ろ、ゲージュツは金かかるじゃないか!!」と言われるかも しれませんが、それは違います。

この時代のギターを200万円、300万円、あるいは1億円出して 買うことがゲージュツなのではなく、売れ残りのギター6本を買ってきて分解し、「イメージ通りの音を求めて、一つ一つのパーツを組み合わせてブラッキーを 組み上げること」がゲージュツなのです!!

もちょっとわかりやすく、料理の例をひとつ。

先日、中華料理店で北京ダックを頂きました。コースメニューに含ま れていたのですが、なぜか付け合わせにオバケせんべい(!!)が出て来ました。しかもたったの1枚。

思わず、「なんでオバケせんべいが付いてくるの?」なんて聞いてし まいました。だって、材料価格が違いすぎる...ダックの皮だけ取って、身は捨ててしまうという北京ダックは、1口分だけで数千円、オバケせんべいはせい ぜい5円ぐらい。。。しかし、食べて納得。口直しにはばっちりでした。

しかし、オバケせんべいがなければ、この時のシェフが表現したかっ た「味」は実現不可能だったわけですよね。その意味で、オバケせんべいと北京ダックは同価値と言うことになります。安価なスナック菓子であるオバケせんべ いと、高価な北京ダックを組み合わせるという発想は、経済的な側面に捉われてしまったら出来ない発想かもしれません。しかし、このシェフはそうした経済的 な側面にとらわれることなく、自分が求める味を自由に追求し、実現したと言えるでしょう。

ゲージュツ的価値観の例をもいっちょ。この例は、ギター弾く人でな いと分からんかもしれません...

エレキギターのあのジージーしたサウンド、ディストーションと言い ますが、このディストーションとは、本来アンプの音を割れるまでデッカクして歪ませることにより出すものでした。が、現在ではそうした「高級なギターアン プをでかい音で歪ませた音」をシミュレートする機械(その名もズバリ、「ディストーション」というエフェクター。「ディストーション・ペダル」という)で 歪ませることもできるようになっています。(って、もう何十年も前からそうだが...)

特に、真空管アンプのディストーションは温かみがあり、好んで用い られますが、ディストーション・サウンドを得られるように設計された真空管アンプは、現在少なくとも20万円ぐらいからです。有名ブランドであるメサ・ブ ギーとか、あこがれました。私が中学生のころは、マークIIIが100万円近くしてましたので、現在ではお求め易くなりましたね。しかし、当然だがディス トーション・エフェクターの方が断然安い。ハードオフなら3千円ぐらいで買える。

この当時は、みんなカルロス・サンタナとかに憧れて大枚はたいてブ ギー買ってきて使っておられたわけですよ。

しっかし、もとマイルス・デイビスのバンドのギター、ジョン・スコ フィールドと言う人、このメサ・ブギーというアンプに、RATというディストーション・ペダルをつなぐ。
つまり、少なくとも20万円を要するクオリティの音色を出すことが できる真空管アンプを持っていながら、そうしたクオリティの音色をシミュレートした、安価な「偽物」をわざわざ繋いで、そちらでディストーションの音を得 ている、ということなのです。

やはり、もとマイルス・デイビスのバンドのギター、マイク・スター ンも、高額なギターアンプ(真空管ではないが、やはり20万ぐらいする)を使用しながら、安価なディストーション・ペダルで歪ませています。

高価な「本物」を持ってるのに、なぜわざわざ安価な「偽物」を使う のかは、経済的な観点からは理解できません。なぜって、それが「本人が求める音」だったのだから、仕方ありませんよね。

もうしつこいかもしれませんが、価格の「高い」「安い」は、彼らに とって無意味なのです。目的は、自分が思い描く「イメージ」を実現することであり、それ以外のことは邪魔でしかありません。

と、いうわけで、ゲージュツ的価値観が、市場的・経済的価値観とは 無関係である、というお話でした。

「そんなの当たり前だ」というムキもあるかもしれませんが、当り前 のことこそ見失われがち。

「赤信号は止まれだよ」と言われて、ちゃんと止まってたら亡くなら ずに済んだ方々は今年は何名居たのでしょうか...

つまり、楽器屋に行った時、「高かろう、良かろう」という論理は成 立しません。コンサートチケットも「高かろう、良かろう」ということは、ありません。騙されないように、自分がどの部分に対してお金を払ってるか、ちゃん と理解した上で購入しましょー。

ベンツを買う人は、その半分がおそらく「輸送費、税金、ステータ ス」に、お金払ってる。はっきり言って費用対効果で日本車にかなう車は、日本国内には無い。

んが、しかし当然ですが、「だって好きなんだもん」と言って、ここ であえて性能は悪いが高額なアメ車を選んでしまう、というのも、当然アリです。こうした思考の方が、よりゲージュツに近いかも。

しかし、自動車など、実用目的かつ基本性能スペックで比較できるも のは、より分かりやすいです。ちなみに、自動車も基本スペックが高い=速い、というのはウソです。

音楽でも、当然基本性能の表示はありますが、それは必ずしも音の良 し悪しを示すものではないので、注意が必要です。つまり、ゲージュツにおける良し悪しは極めて「主観的」なものなのです。

しかし、「ゲージュツ」というのが、創作活動のみならず、興行等そ れに係る一切の活動を含む広義の意味においては、おそらく経済的価値観もかかわってくるものと考えられます。しかし、その関係を考えると、資本主義とゲー ジュツは、あんまり関係ないんじゃないだろか、というハナシになってしまいます。


4.ゲージュツと資本主義・パトロン


資本主義Capitalismとは、ラテン語の「所有する」 Capitasを語源としています。資本主義は「持てる」人たち主導の制度です。「持っていない」人たちは、大損した気分にさせられます。労働契約なん て、すべて雇用者側の論理ですし、持ってる人がエライ制度。「社保」とか「有給」なんて甘い「だまし文句」だと思わされることもしばしば。

マックス・ウェーバーなどを語るつもりはありませんが、しかしオラ ンダやイギリス・アメリカで資本主義が進んだことと、プロテスタントとの関係は否定できません。

補足説明:マックス・ヴェーバー
西欧近代の文明を他の文明から区別する根本的な原理を、「合理性」と仮定し、その発展の系譜を「現世の呪術からの解放(die Entzauberung der Welt)」と捉え、比較宗教社会学の手法で明らかにしようとした。そうした研究のスタートが記念碑的な論文である「プロテスタンティズムの倫理と資本主 義の精神」(1904年-1905年)であり
、西洋近代の資本主義を発展させた原動力を、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生 活合理化であるとした。(Wikipedia)

しかるに、ヨーロッパで歴史的に価値の高いものとされる音楽・ファ インアートや建築は、どこにあるでしょうか?

ダビンチ、ミケランジェロ、ルチアーノ・パバロッティ、シャネル、 フェラガモ、アルマーニ(ちょっと違うか...)、全部イタリア。
聖家族教会はスペインにあります。ピカソはスペイン人です。ギター もスペインがふるさと。
モネ、ルノワール、ドビュッシーはフランス。

こう考えてくると、ゲージュツは、圧倒的にローマ・カトリック圏に 集中しているように見えるのは、僕だけでしょうか。

「あれ、バッハはドイツだよ」(ちなみにバッハの教会は、カトリッ クの教会でした。)ベートベン、ブラームス...シェーンベルク

まあ一概には言えないとは思いますが...

しかし、絶対に言えることは、Patronageがその鍵を握って いる、ということです。当然ですが、ゲージュツは実用性も合理性もありませんので、カルヴィニズムに密接に関連する合理的な資本主義とは相いれないもので すから、僕がこう感じるのも、Patronageがローマ・カトリック圏に集中しているということが原因ではないでしょうか。

ちなみに、ジャズにもPatronが多数居ります。一番有名なの は、おそらくアル・カポネ、続いてトム・ペンターガースト、そしてNica's Dream のNica婦人(ビバップ期のPatron)でしょうか。そして、現在の日本のジャズでもPatronageなしではあり得ません...これには、ちょっ と内緒な話も結構あります...

ソビエトでは、国がPatronでしたので強力ですね。

概して、一部に富裕層が居て、有り余る資金があり、ゲージュツがそ の庇護を得て発展してきた部分は否めない、と言うことです。

  

補足説明:

ダヴィンチ

1482年から1499年にかけ て、レオナルドはミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)に仕えながら、自分の工房を開いて独立した。

ミケランジェロ

ロレンツォはミケランジェロを自 宅に引き取り学ばせた。~ロレンツォが亡くなった1492年、ロレンツォの子で後継ぎのピエロはミケランジェロへの後援をやめた。

聖家族教会:ガウディ

さらに1918年、パトロンのグ エルが死去した。この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われている。彼は取材を受けたり写真を撮られたりするのを嫌うようになり、サグラダ・ファミリ アの作業に集中するようになった。

チャーリー・パーカー

Parker died in a suite at the Stanhope Hotel occupied by his friend and jazz patron Nica de Koenigswarter while watching Tommy Dorsey on television.

そんで、そのNica de Koenigswarter

Patron of jazz
In New York City, she became a friend and patron of many pioneer jazz musicians, hosting jam sessions in her suite and is sometimes referred to as the "bebop baroness" for her patronage of Thelonious Monk and Charlie Parker. After Parker's death at the Stanhope in 1955, the management asked her to leave, and she moved to the Bolivar Hotel at 230 Central Park West, a place commemorated in Thelonious Monk's 1956 tune "Ba-lue Bolivar Ba-lues-are".

トム・ペンダーガースト

Although he was unquestionably corrupt and there were regularly shootouts and beatings on election days during his watch, history has tended to be kind to his legacy since the permissive go-go days gave rise to the golden era of Kansas City Jazz (now commemorated at the American Jazz Museum at 18th and Vine) as well as a golden era of Kansas City building.

ルイ・アームストロング:アル・ カポネ

After separating from Lil, Armstrong started to play at the Sunset Café for Al Capone associate Joe Glaser in the Carroll Dickerson Orchestra, with Earl Hines on piano, which was soon renamed Louis Armstrong and his Stompers, though Hines was the music director and Glaser managed the orchestra. Hines and Armstrong became fast friends as well as successful collaborators


しかるに、資本主義では、同様に「有り余る資金」がありましたが、 これがゲージュツにではなく「資本」に回された、とこーゆーわけです。

と言うわけで、「資金が回ってくるところにゲージュツあり」みたい な話になってしまいましたが、そしたら、やっぱり不景気はマズイことになってしまいます。

しかし、初めに「ゲージュツというのが、創作活動のみならず、興行 等それに係る一切の活動を含む広義の意味において」と申し上げた通り、資金面が関係してくるのは、創作活動以外の部分においてです。

一言で言うならば、音楽が売れなくなってしまう、と言うことです。 Patronが不況のあおりを受けてスポンサーをやめる→資金がなくなるので、コンサートその他のパブリシティが得られない→音楽が消費者たるリスナーま で届かない→ますます音楽がリスナーから遠ざかって行き、宣伝効果面で見ると、スポンサーシップの魅力が益々劣ってゆくというスパイラルに陥ってしまう。 僕が考えるに、不況になったら、仕事が暇になったりして、リスナーは、ますます音楽を求めるのではないでしょうか。

しかし、僕が問題にしているのは、創作活動としての音楽であって、 商業活動としての音楽ではありません。

(その2へはこちらをクリック!!)


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